半径3m以内の世界

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気の遠くなるような道を君は行くんだね

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最近気が付いたことがある。
一日で息子を抱っこする回数が減ったのだ。暑かった夏を超えてガクンと減った。辛いことがあったり転んで痛かったり、不安な時…そういう時は今でも抱っこを求められるが3歳までは確かにあった「ただ抱っこされていれば嬉しいから抱っこされたい」という要求が減ったのだ。これは思ったよりも堪えている。春のそよ風が吹く中散歩したら帰りは必ず抱っこして欲しいと甘えられたことも、夏の間抱っこしたら二人で汗だくになったのももう過ぎたことなのだ。早すぎる。もう取り戻せない。その時はどんなに大変でも絶対死ぬ間際に「もう一度あの時に戻りたい」と泣いて願うような特別な時間だとわかっていたのに。わかっていたのにあまりにも予告なくあっさりと…。

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初夏の時期から息子は幼稚園に入園した。最大の安心基地である親から離され訳も分からずそこに居ろと言われ、慣れない集団生活で、初めて知るルールや自分でやらねばいけないことが目白押しだ。そんな戸惑いも一学期を何とか乗り越え、夏休み彼はその心労の反動ごとくママっこになり誰にもあずけられないくらいべったり母である私と過ごした。正直疲弊した。早く夏休み開けてくれと願ったこともある。

そして念願(?)の夏休み明け、彼はたった1週間で「自分が幼稚園に行くこと」を覚悟した。Eテレのおかあさんといっしょの人形劇ファンターネが始まる曲が流れたらリュックを背負い水筒をぶら下げる。新しいスニーカーを履いてまだ衣替え前の麦わら帽子をかぶる。バスが迎えに来る時間だとわかっているのだ。家の前でバスを待つ。その時に表情は毎朝明るくない。彼は幼稚園が楽しいだけのエデンではないと知っている。まだ日常生活もままならない歳なのだ。同じように人生初心者のお友達と一緒にいれば誰が悪いわけでもないけれどうまくいかない瞬間もあるだろう。楽しいことがあってもそれだけではないとわかってる。少しでも励みになればと「抱っこしようか」と言う。彼は黙って首を振る。顔を見ようとかがむと「ママ立って」と言う。その凛々しさに少し胸が詰まる。彼は自分の脚で立っている人間であるのだ。

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自分にとって学生時代は長すぎた。人生で楽しい時間を自覚できたのはひょっとしたら20歳を超えてからではないだろうか。恵まれていたはずなのに昇華しきれなかった自分の10代を思うと、今まさにその長い道のりを歩みだした息子。その間にあるだろう試行錯誤や苦しさを思うと大人になるまでの年月が長く感じられて気が遠くなる思いになる。勝手に。願わくば母とは同じような道を歩まず、苦しみと同じくらいの楽しさがありますようにと願わずにいられない。

 

 先日、保育参観に行った。外遊びをおえた彼は教室の前で私を見つけ「いま靴かえてくるから待っててね」と言って外靴を持って一人で靴箱に歩いて行った。彼は自分を足で歩いている人間だった。本当に抱っこでは君を支えられなくなる日が遠くない未来に待っている。辛いことがあっても彼から助けを求められなくなる日もやってくるだろう。親は子の最後の伴走者にはなれないのだ。

さあ今日も幼稚園から帰ってくる彼を迎えよう。丁寧に今日の話を聞こう。求められればハグをしよう。毎回これが最後の日になるかもしれないと思いながら。