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「勉強が出来るようになるには」について徒然考えた話

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 学生の試験勉強が終わって社会人になってもなにかを学ぶ機会は多いです。それが座学だけではなく技術的なものであったりしても何かを習得せずに働くことはできないと思います。学ぶという事について考える機会が多い中で、学ぶことの「容量の良さ」はどこから来るのか、ある種の解答がまとまってきたのでここに記しておきたいと思います。

学ぶことが下手くそな人ほど過程を省略する

 至極当たり前のことを言うのですが、何か新しいことを学ぼうとしたとき私たちはその分野について素人です。例えばその分野に関することが10行で書かれていたとして素人の私達にははじめそのうち何行目が大切なのかはぱっと見わからないはずです。その10行を繰り返すうちに「あ、肝はここなんだな」「3行目はなんであるのかわからなかったけれど、こういう意味だったのか」と気が付いていきます。全容が理解できてやっと細部の意味に気が付くのです。ところが、学ぶことがうまくない、やっているのにイマイチ入っていかないタイプの人は最初に「ここは大事じゃないだろう」と無意識のうちに「勝手に」過程を省略します。誰に聞いてもいないのに、その判断に無駄に自信があります。そして地味な部分に秘められたエッセンスに気が付かない。物事がうまくなるわけがないんです。

真似る、覚えるということの凄さ

 では、どう学ぶのがいいのか。それは1から10までそっくり真似ることです。試験勉強であれば参考書のやり方、式の書き方をそっくり真似ること。そしてやり方を覚えてしまうこと。問題を見た時に「ああこのパターンね」とわかるということ。まずはそこからです。ここで手数を減らして楽したい人はこう思います。「それって自分で考えてないからよくないんじゃないか」なるべく覚えたくないんです。暗記したくないんです。わかります。ですが、忘れてはいけないのは私達が素人だということです。

 何かを考えるためには、その分野の知識がいります。考えるためには「材料」がいるのです。ある程度のパターンを覚えるという事はその材料を集めることです。それを拒否するのはRPGで武器屋で武器を買わず、作り方も分からないままお手製の武器で戦おうとするのと同じことです。いやいや、買おう。武器買おう。マニュアルは、参考書は先人の知恵です。

自力で出来るのハードルを下げない

 よし、まずは真似るぞ。と思った後、大事なのは真似たその手順を自力で出来るようになるまでやるということです。これが出来れば高校までの勉強は十分できるようになります。ほかの分野の人でも基本はわかる、できるまでにはなるでしょう。ところがこれがまた出来ない。ちょっとうまくいかないと途中で解答を見たくなる。最後までやり切ってないのに「あ、これでよかったんだ。出来たってことでいいや」としてしまう。何も見ないでやり切って蓋を開けた時に失敗しているのを見たくないんです。わかりすぎる。学生時代の私です。さて、大事な試験の前に、自分で練習している段階で、やり方を学んでいる段階で、失敗したとして、それを誰が責めるでしょうか。最近、友人が書を書いていて一発でバランスよく文を書くので「書く時緊張したりしない?」と聞いたら「なんで?間違えたら書き直したらいいだけじゃん」と何でもないように言われました。なんでも失敗したくない私はその言葉にとても感銘を受けたのでした。やり直したらいいだけなんです。練習している最中に失敗したとして貴方の何が傷つくわけではないのです。大いに学び、大いに間違おう。そして自力で真似られるようになった時、そこにあるのは自由です。

学ぶことで自由になる

 知識とやり方が身に付けば、未知のものに出逢ったときに自分のどの材料を使って戦おうか、選ぶことができるようになります。試すことができるようになります。試してうまくいかなかったら引き返すことも出来ます(知らなければ引き返すことも出来ない、きっと)そしてまた違うことを学ぼうとしたときの心構えになります。これが経験だと私は思います。学ぶことで、自分の人生を選べるようになります。それはすなわち自由を得るという事に等しい。たくさんの自由を手に人生を楽しく生きていきましょう。

 

 以前仕事で教育に携わっていた時に書いた記事。

m-chou0618.hatenablog.com