菓子がないなら下僕になったら?

ひたすら食べ物を愛で、考えるブログ

尽くす尽くされる、その二項対立を超えたところで逢おう

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いろんな形の思い方があるし、どんな思い方でもいいと思う。つい少し前まであまりにも相手から「奪う」のか「与える」のかがどっちかしかないと思っていたところがあった。女性は愛されて結婚する方がいいとか、惚れた方が負けとか、世間でよく言われている、そういうこと。それでも自分が何もかもより相手の快適さや需要を優先していた自分の愛し方は、たとえそれが原因で終わってしまったとしてもずっと嫌いにはなれなかった。どこかであれが良かったんじゃないかと信じたかったのだ。

なぜ自分は相手を失ったことで自分の何かを失ったような気がしていたのか。それは自分の生活の不満や変わりたいという願望を恋人に期待していたからで、他人に埋められないところを無理やり他人の気持ちを押し込んで誤魔化していたからではないだろうか。そんなことではなにも埋まらないのに。

 自分を大切にすること。蔑ろにしないことと、ひたすら誰かに優しく受容し与えることは両立すると思う。奪い合いではなく、尽くすのが駄目だとか尽くされる方がいいとかそういう二項対立を超えるのはどっちもいっぺんにやること(どっちでもいいんだと思う事と同義)だと思う。たとえ誰かに心血を注いで尽くして、その結果その関係が終わって手元の何も残らなくてもそれがなんだっていうのだろう。そもそも与えて自分がなにか減っていただろうか自分の何かが傷ついていたであろうか。

 

仕事も、家族も友人に対しても、これからするかもしれない恋愛に対しても自分を惜しみなく注ぎたいと思う。真摯に。出し惜しみなく。そうしても自分は何も減らないし、なにも傷つかないってわかったから。その先になにがあるか知りたい、見たいと思う。

 

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