半径3m内の世界

ひたすら食べ物を愛で、考えるブログ

すべて、繋がってる。過去の絶望だとしか思えないようなことでも。

 

 

 

きっとうまくいかないだろう教の皆様へ - 人生の冬休み

 

この記事の冒頭で。時計をなくしていてそれがいきなり戻ってくることになったとかきましたが、手元に戻ってきただけでも奇跡みたいなことだなあ。必要なものは手元に戻ってくるんだなあと感慨深くなっていた。

 

「わたせてなかった手当があって…」

日時計が戻ってきたら受け取っていなかったお金があったらしくそれも一緒に手元にやってくることになった。でも思ってたより全然びっくりしてなくて「おお!やっぱり想像以上だ」と確認した感じでした。必要な時に必要なものがやってくると思ってたけどこれはちょっとちがうぞ。適切な時に必要なものが想像以上以上にやってくるのだ。拒みさえしなければ。きちんと私に対応してくださった会社にも感謝しかないし、なによりその当時の働いてた自分にも、この素敵な会社選んだ自分にも感謝しかない☆(自分への割合多いなw)

 

〇〇じゃなければ幸せではないという呪いを解け。

結局のところ苦しめられていたのはこれなのだ。不足感。すべてそろっていなければ。すべて1から10までほしいものが目の前になければ。大好きな人が自分を愛していなければ。お金がなければ。自分は幸せではないという思い込み。

 

 「現状を認めて今の自分の状況のいいところを探すといいよ。」

煮詰まっている人のたいして引き寄せ関連の本が与えるアドバイスはこれに尽きることが多い気がする。でもそれが求める未来にどう繋がっているかを納得できないままただ結果を求めると、自分の焦りに潰されてしまって苦しくなる。

特に失恋したてだった私が「今あるもの」を数えることは本当に難しかった。。自分が生きていることを無理やり納得させる手段になっていて結局は不足感をじりじりと募らせる。

それでも本気で探した。意味がないように思えても、どんなに絶望しててもいいから毎日今日あったいいことを出先では携帯のメモ帳に書いて、寝る前に手帳に書いた。慰めのようなものだったのかもしれない。ここにあるいいことを数えなければ生きていける気がしなかった。そんな後ろ歩きのような進み方を、函館来てから毎日、毎日。今日バスの運転手さんが丁寧だった、とかそんな些細なことも、おいしいご飯が作れたとかそういうことでも。そのうちにあることに気が付いた。

 

自分のどんな選択も、すべて今の幸せに繋がってる。

過去の絶望だとしか思えないようなことでも。

 

当たり前だ、そう思うかもしれない。例えば今日家族と食べるごはんがおいしい、思いがけず戻ってきた時計とお金、ウォーキングしていた時だけ晴れていたこと(正確には晴れている間に出かけられたこと)、どんな些細な事もここに今自分がいなければなかったことであり、自分が何気なく思い描いて自然にしたことが点と点を結ぶかのようにすべて繋がっているのを知ると、過去の自分もすべてこれでよかったのだと思えるし、すべてうまくいく未来に向かっているのだという自分への信頼が厚くなっていく。その信頼が厚くなればなるほど、実際ふたを開けてみると思いもよらない素敵なおまけまで入っているのだ。それは特別な人に与えられた力でもなんでもなく、わたしは本当に「ただ気が付いていないだけ」だった。

 

手帳でも大学ノートでもチラシの裏でもいい。たった1個でもどんな些細な事でもいい。今日起こったいいこと、うれしかったこと。毎日書いてみませんか。ないものではなくあるものを数えてみませんか。やらなくてもいいので、続けた私が何を受け取っていくかこの先も見てみませんかw私も毎日今の自分がなにを受け取っていくのか楽しみでしかたないです笑

そうやってブログ書いている合間にも、函館来てから音信不通だった友達から連絡がきてにこにこ。無理やりつかみ取ろうとしなくても、これまた私がより望んでいた形で。えへへへ。

 

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